アザミミチナミダミチ

生きることの苦手なあなた、救うことのできないあたし-1

あなたの手首には、無数の傷跡がある。浅いのや深いの、古いのや新しいの。その傷は、あなたがいつもそうやって、あたしの目の前で手首を切って付けたもの。だから、あたしはそれを止めなきゃいけない。だって、あなたは私が止めないと、拗ねてしまうから……。 でもあたし、最近ちょっとあなたに疲れてる。だからつい、言ってしまったの。

「止めて欲しいだけなんでしょ?」

あたしの言葉に、あなたは顔を歪めて涙を流す。その涙はもう長いこと消えない隈を経て、少しほうれい線の浮いた、やや黄ばみがかったような、顔色の悪い髭にまみれた頬を経て、顎の先から伝って落ちた。

「オレの気持ちなんてわからない癖に……!」

「わかんないよ。わかる訳無いじゃん!」

そしてあたし達は、いつもそうやって二人で泣くの。それがあたし達の日常。



1Kの部屋にベッドはひとつだけ。二人で暮らしていくにはちょっと狭くて、物があふれているのと、彼は本当に何もしないし、あたしもこの日常生活にとても疲れていたから、あたしたちが住んでいるこの部屋は本当に足の踏み場もないくらいに散らかっていた。

あたしが仕事から帰った時、あなたは散らかった狭いこの部屋で、風邪をひいた時なんかに処方されるようなのとは違う、綺麗な色をした、変わった形の大きな錠剤を、すり鉢ですり潰していた。そして、さらさらの粉になったそれを、ストローで鼻から吸い込もうとする。

「何やってんの!? そういう風に使う為のお薬じゃないでしょ!?」

「うるさい! ほっといてくれよ!」

あたしが稼いだお金で病院に行ってる癖に。病気をちゃんと治して欲しいからあたしは言ってるのに。まともに治す気なんて、きっともうあなたにはないんでしょうけど。

あなたは粉になった薬を、鼻から思い切り吸い込む。鼻にストローを入れて、ストローを押さえている姿がなんだか哀れで、滑稽で……。見ていたら何故か、笑いと涙が一緒に出てきた。

「何が可笑しいんだよ? 大体オレがこうなったのもお前のせいなのに。なのにお前は男と! オレの気持ち考えた事あんのかよ!?」

何それ。あたしはあなたを養う為に、この仕事を始めたのに。

「あなたこそ、あたしの気持ち考えたこと有るの?」

「オレ……オレは病気なんだよ。お前だって知ってるだろう?オレは自分だけで精一杯なんだ。だから……だからお前が支えてくれなきゃ、オレは生きられないんだ」

あなたはそう言った後、あたしの目の前で首を括ろうとする。 あたしの気を引くという、ただ、それだけの為に、予め形作ってあるロープを使ってね。彼が首を括ろうとする光景はもう何度となく見たけれど、いい加減、もううんざり。そのロープだって、見るのはもう何度目だろう? 捨てても捨てても新しく用意するし、何度も同じ光景を見たけど、あなたは今も生きているじゃない。

「本当は死ぬ気なんか、無い癖に」

「うるさい。うるさい。うるさい。オレは本当に死ぬんだ。良いのか? お前のせいでオレは死ぬんだ」

あなたは椅子をカタカタ鳴らしながら、天井にロープをぶら下げる。着古した部屋着姿で数日風呂にも入っておらず、髭の伸びた顔に絡まった髪で必死にあたしの気を引こうとする姿は、昔のあの人と同じ人だとはとても思えなかった。昔の彼は優しくて、そしていつでも清潔感のある人だったはずなのに。

「いい加減にして! あたしもう疲れたよ。もう終わりにしよう? さようなら」

あたしはそう言って、旅行鞄に服を詰め込む。ひたすらに、ぐちゃぐちゃに、ただ、詰め込む。あたしの引き出しから何も見ずに見境なく、ただ、詰める。この旅行鞄の中は、今のあたしの心の中と一緒。心がぐちゃぐちゃなのは、あたしもなんだよ。

「死んでやるよ! オレは本気なんだからな!」

あなたはぶら下げたロープを首にかけ、わざとらしく椅子を揺らして見せた。これは彼なりのアピールで、私も初めのうちは本気で心配していたんだけど、そう何度も何度もやられるとね。本当にもう、疲れちゃったんだ。

「残りの荷物は、住むとこが決まったら取りに来るから。それじゃあね」

あたしはそう言って、相変わらず椅子を揺らし続けるあなたを無視して、アパートを後にした。あたしが借りてるアパートなのにね。友達はあまりいないし、数少ない大切な友達に迷惑もかけられない。あたしはただ行くあても無く、大きく膨らんだ旅行鞄を抱えて歩く。本当にどこに行こうか? 今は深夜で電車も走っていないし、開いているお店も少ない。

どこに行くというあてもないのに深夜料金のタクシーになんて乗る気にはなれないし、田舎だからネットカフェや漫画喫茶なんてものもない。この時間開いてるのはコンビニかファミレスか……。コンビニは近所にあるけれど、ファミレスは隣町まで行かないといけない。でも、さすがにコンビニに長時間居座る気にはなれないしなぁ。コンビニで何か雑誌でも買ってから、隣町のファミレスまで行こう。

あたしは近所のコンビニで雑誌を購入し、隣町のファミリーレストランを目指す。これからどこに行くかは、電車が動き始めたら考えたら良い。

自分の足だけで住み慣れた町から抜けたあたりで、ポケットの中の携帯が震えた。足を止め、ポケットから携帯を取り出し開くと、そこには見慣れた名前。あなたの名前。 あたしは無言で通話ボタンを押す。あたしからは何も言わない。あなたから電話をかけてきたのに、あなたも何も言わない。言葉の無い時間が流れる。そんな時間がしばらくあたし達を包んで、ようやくあなたは口を開いた。

「……ごめん。もうこんな事はしないから。本当にごめん。オレにはおまえが必要なんだ。だから……だから、戻ってきてくれよ。お願いだから…………」

あぁ、あたしはこんな言葉ひとつで来た道を引き返している。馬鹿な女。

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