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木造平屋のアパートにて-1

この平成の時代から取り残されてしまったかのような、木造の古いアパートが、取り壊されていく。今時アパートと言ったら、鉄筋で三階建てか四階建てくらいのものが主流だろう。もしくは、木造なら二階建てくらいで、でも、玄関はすべて一階にあって内階段になっているような、洋風のモダンなデザインのもの。それなのに、このアパートは木造で平屋。風呂無しでトイレ共同。お洒落やモダンなんて言葉は絶対に似合わないようなこんなアパートが、今の時代まで残っていた事は奇跡に近い。そのアパートが、あたしの目の前で形を失っていく。

「あ、あの……何を眺めていらっしゃるんですか?」

そんなアパートがその形を失っていく様を、どれだけの時間眺めていただろうか? この町を包み込む空は茜色に染まり、あたしの見つめる先にあるアパートの姿さえほとんど無くなった時に、ふと、見知らぬ誰かに声をかけられた。その声の持ち主がいるであろう方向へ顔を向けると、そこに立っていたのはあたしよりずっと若い、息子と言ってもおかしくないような歳の青年だった。

そんな息子のような歳の青年がなぜあたしのようなおばさんに話しかけてきたのかという疑問は、青年が次に発した「あ、オレ、行きにもここを通って、まさか帰りにも居るとは思わなかったから……。ずっと眺めていたんですか?」という言葉によって理解できた。要は、アパートが取り壊されるのを眺め続けているような、変なおばさんへのちょっとした好奇心といったところだろう。

だから、その小さな好奇心に対して「あ、えぇ。ずっと眺めていました。古くて汚いアパートだけど、あたしにとっては思い出のアパートでしたから」とだけ答えて、そしてまた取り壊されていくアパートへと視線を戻す。何時間も壊されるアパートを眺め続ける変なおばさんへの興味なんて、この答えだけで尽きるだろうに、青年はその場から立ち去ろうとしない。

「あ、あの、その思い出って、どんな思い出ですか? あ、いや、取り壊されるアパートを何時間も眺めているなんて、きっとすごい思い出なのかなって……」

それどころか、まさか見ず知らずのおばさんの思い出話になんて食い付いてくるとは思ってなかったから、あたしは少し狼狽えながら「えぇ? 別にそんな、たいしたもんじゃないですよ」と、返す。

更には、青年はあたしに対して爽やかに笑いかけなら「良かったら、聞かせてください」なんて言うものだから、あたしは少し困ったように笑って、「おばさんの昔話なんて、つまんないものよ? 暇つぶしにもなりはしないと思いますよ?」と、その青年に言ったんだけど……。

「オレ、暇人ですから。それに、気になっちゃったんで、夜眠れないと困るし、是非、聞かせてください」

なんて、青年はまっすぐ視線を向けながら言うもんだから、あたしは眉尻を下げつつも、口元はほんのりと微笑みながら「是非って言われちゃあねぇ、本当につまんない話よ。ありきたりな良く有る話。途中で飽きたら勝手に帰って構いませんからね」と、青年に言い、あたしは視線を茜色の空へと向けた。

茜色に染まった夕焼け空を眺めながら、思いを巡らせる。どうしてだか、あたしは親子ほども歳の離れた見ず知らずの青年に、昔話をする事になってしまった。 さて、どこから喋ろうか? 青年に話すために頭の中で渦を巻くように巡る思い出を一度整理する。思い出話をするのなら、やっぱりこのアパートに住み始めた頃からだろう。あたしはゆっくりと語り始めた。

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