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木造平屋のアパートにて-2

――あたしがこのアパートに住み始めたのは、高校を卒業して、なんとかギリギリで就職先が決まって、親元を離れた時だったわ。ロッキード事件の頃だったかしらね。このアパートはその頃から既に古いアパートで、両親はあたしを心配して、若い娘なんだからもう少しマシな所に住めなんて言っていたんだけど、なかなか就職先の決まらなかったあたしがなんとか入り込めた会社は、条件がかなり悪くて、お世辞にも給料が良いとは言えなかったから、見付けた中で一番家賃の安かったこのアパートに住む事を決めたのよ。

でも、住み始めてすぐに後悔したもんよ。外見も酷かったけど、中はもっと酷くて、畳は茶色くなってささくれだってるし、共同トイレはなんだかいつも汚くて、用をたすのがかなり嫌だった。それに、隣に住んでるおじさんがなんだか助平そうでねぇ。「嬢ちゃん、湯上がりかい?」 なんて、銭湯帰りのあたしにいっつも話しかけるの。

それでも、うちは裕福な家庭ではなかったし、働いている身で親の世話にはなれないしね。 あの安い給料でやっていける家賃のアパートなんてここくらいだから、我慢して住み続けてたわ。

そんな生活に慣れた頃、仕事からの帰りがいつもより遅くなった時、帰り道でね、今で言う、ストリートミュージシャンと言うの? 道端でギターを弾きながら歌っている男の人がいたの。当時、そういうのが少し流行っていたんだけど、だらしない感じの長い髪で、見た感じあたしは好きなタイプではなかったんだけど、何故かしらね、足を止めて聴きいってしまったのよ。それは、そういう人種に対するちょっとした興味だったのかもしれないし、もしかしたら、心のどこかで彼の歌声に惹かれていたのかもしれないわ。



だからかしらね、それからあたしは毎日彼の歌を聞きに行ったわ。残念ながら、お客さんはあたし一人だったのだけれど、彼はあたしのために毎日歌ってくれたわ。そんな彼をあたしは「お客もいないのによくやるわねぇ」なんて、冷やかしたり茶化したりしてさ、だけど、彼の歌を聞きに行っていたのよ。

彼はそんなあたしに対してさ、「お客さんならここにいるじゃない。好きなんでしょ? 俺の歌」なんて、自信満々に言ったもんよ。そんなこんなで少しずつ話をするようになって、仲良くなって……。彼を初めてアパートに入れた時は、隣のおじさんがこんな事言ったっけ。

「結婚前の娘っこが男を連れ込むなよなぁ。なんだか、自分の娘に男ができたみたいだな」

助平顔の気持ち悪いおじさんって思ってたけど、案外良い人なのかもって思い始めたのもこの頃ぐらいだったかしら。まぁ助平親父なのは間違いないけどね。ムチムチボインが大好きらしいから。

それから、彼と出会って半年くらい過ぎた頃、一緒に暮らし始めたの。あたしの住んでる、あの部屋でね。 二人で住むには狭かったし、隣のおじさんがあたし達二人を茶化してきたりしたけど、すごく幸せだったわ。 彼はあたしに、歌手になるっていう夢を何度も熱く語っていたっけ。その夢を語る瞳はキラキラ輝いてて、どんな宝石よりもきれいだったものよ。

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