アザミミチナミダミチ

蝶になるということ、飛び立つということ-8

丁度そんな折に、さえない男二人があたしの噂話をしているのが不意にあたしの耳に入った。片方の男は遠目からも安物だとわかる鼠色のスーツを着ていた。そのスーツは安い生地のせいか、それともここしばらくクリーニングに出していないのか、くたびれてしわがよっていて、ひざの辺りは擦れててかてかと光っていた。

もう片方の男は碌に自己管理もできやしないのか、スーツこそきれいなものの、頭は寝癖のせいで片方だけが跳ね上がっていて、腹の辺りは妊婦みたいに膨らんでいるし、靴の手入れをしていないせいで、今日はからりと晴れているのに、その男の靴は先日の雨で泥だらけになったものがそのまま白っぽく固まっていて、それはもう悲惨なくらいに汚かった。スーツだけきれいなのは、この腹の出た男が実家暮らしだから、きっと母親がクリーニングに出してやっているんだろう。

そんなさえない男達の噂話に、あたしは心ならずも耳を済ませてしまう。丁度あたしの整形疑惑の話題らしく、「あの女整形らしいぜ? 女子社員が噂してた」と、くたびれたスーツの男が言っているのが聞こえた。

「単なる噂だろ? 彼女美人だから、嫉妬してそんな噂してるだけじゃね?」

それに対し、腹の出た寝癖男はこう返す。そう、嫉妬よ嫉妬。あたしは声には出さないものの、彼に同意しながらこのやり取りを見守っていた。だけど、くたびれたスーツの男はにやりと笑いながら、「でもさぁ、火の無い所に煙はたたないって言うぜ?」などと言う。その男の歯は出っ歯で、そのにやけた顔はくたびれた鼠色のスーツとあいまって、本当に鼠のように見えた。

そして腹の出た寝癖男のほうも、くたびれたスーツの男のたったその一言だけで「だよなぁ……。パチモンって解ると一気に萎えるわぁ」なんて返す有様だ。何が萎えるだ。必死にちやほやしていたくせに。あたしはあんたみたいな男に萎えられるほど、落ちぶれちゃいない。

「まぁでも、例え作りもんでも、あんだけ良く出来てんなら、一発お願いしたいけどな。一発だけ」

鼠色のくたびれたスーツの男、いや、鼠男は、その出っ張った前歯をむき出しにして下卑た笑いを浮かべながらこんなことまで言った。そして腹の出た寝癖男もそれに同調してこう返す。

「俺も一発だけなら。ま、パチモンの顔で騙そうとする女なんか彼女としてはゴメンだし、一発ヤッたら即捨てだけどな」

「言えてる」

何が一発だけだよ。ふざけんなッ! こんなさえない男達に一発ヤリ捨てだのと言われ、あたしは体を巡る血が沸騰するような感覚になり、眉間にしわを寄せながら男達の会話に声にならない叫びをあげた。そして挙句の果てのこのセリフ。

「無理目の女と思ってたけどさぁ、あの顔が作りもんならさぁ、アイツ男にモテた事ねんじゃね?」

「案外言い寄ったらコロッと落ちたりして」

確かにあたしはモテてはいなかった。それは事実だけど、あんたらみたいなのにコロッと落ちたりする程のバカ女のつもりはない。馬鹿にするな、調子に乗るなと言ってやりたかった。

「しかも処女だったりして」

ついでに言うと、彼氏が居た事くらいは有るし、あたしがもてないとは言っても、あたしが付き合ってきた男達は、あんたらよりも幾分かマシな男だったけどね。本当に、調子に乗るなと言ってやりたかった。でも、あたしは何も言えない。

「俺試そうかな。ま、例え処女でも整形女はヤり捨てだけど」

「言えてる」

……っていうか、あたしにその会話が聞かれてる事に、こいつら気付いてないのかね。気付いていないなら相当の阿呆だ。ま、気付いていないからヤり捨てだとか言えるんだろうけれど。本当に何故私はこんな奴らにさえ馬鹿にされなきゃならないの?

「あの女が整形なら、やっぱ職場のアイドルは彼女だよな」

「原点回帰。美人は天然ものに限るってな」

「言えてる」

何が原点回帰だ。雰囲気美人なんてのは髪型や化粧や服装でそれっぽく見えるだけでよく見りゃブスなのに。 天然と言ってもメッキを剥がせば美人でもなんでもないのに。そんなのがあたしよりカースト上位だなんて、あたしは絶対に認めない。



……そう心の中で強がってみても、美容整形の噂が職場中に広まっている頃には、職場の人間のあたしへの扱いは随分と変わってしまった。陰でこそこそとあたしの噂話をして笑う。あたしに聞かれているとも知らずに。 そのくせ、あたしを見れば一応の美人扱いを続ける。ただ、以前みたいな手放しのお姫様扱いとは違う。

男達からは自分の好感度をあげたいというにおいは感じないし、何より大きいのは、あたしをどこかタブー視している。触れてはいけないものに対して気をつかっている。時に哀れんでいるような空気さえ感じる。当然、女達はそれを見て悔しがる事は無い。それどころか、哀れまれているあたしを見て、にやりと口角を上げている。

惨めだ……。凄く惨めだ……。どうしてこうなったんだろう? あたしは綺麗になって、笑われ役を卒業したはずなのに。自分から笑われ役を演じる事よりも、気をつかわれ、哀れまれながら、陰で笑われる事がこんなにも惨めだなんて。

職場を変えればまた女王様になれるだろうか? でも、仕事を辞めてもまたすぐに仕事が決まるとも限らない。この不況の時代に職を失うのはリスクが高い。

……本当は女王様でなくても良かった。ただ、笑われるのが辛かったんだ。今更もう遅い。でも、笑われるのが辛かったんだ……。

-END-

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