「由紀ちゃん、今日は何かしら?」
「あ、十和子先輩、今日は、十和子先輩にお勧めの本をききたくって」
そう言ったあたしに、十和子先輩は少し意外そうな顔をしてこう言った。
「由紀ちゃんって、読書するの?」
まぁ、確かにあたしはあまり読書をするようなタイプには見えないもんね。
「いえ、ほとんど……っていうか、正直に言うと、今は全然。でも、十和子先輩みたいな素敵な女性になりたくて、同じ趣味を持ちたいなって思って」
十和子先輩の透き通った黒い瞳には、すべての嘘が通用しない気がして、ちっぽけな見栄なんてはらずに、正直に答えた。
「ふふ。ありがとう。普段読書はしないんだったら……最初は何が良いかしらね? とりあえず、今から一緒に図書室へ行く?」
「は、はい!」
図書室……十和子先輩と初めて出会った場所。そこへ二人で行くなんて、なんか、妙にドキドキしちゃう。
図書室へ入ると、ほんのり埃っぽい本のにおいが鼻に抜ける。放課後の図書室はとても静かで、あたしと十和子先輩以外は誰もいなかった。学校の図書室だから、蔵書はさほど多くはないし、一目で見渡せる程度の広さしかない。等間隔で整列した本棚と、その中で少しくすんで色あせた本の背表紙達が、あたしを見つめていた。窓からさす夕日が、あたしと十和子先輩を赤く染める。
「何が良いかしらね? 普段読書はしないみたいだし、そうね……」
そう言って十和子先輩は図書室の中をゆっくりと歩く。奥の方で立ち止まり、細い指でそこからスッと一冊の本を抜き出した。
「これはどうかしら? 凄く有名な本だから、普段読書をする人には勧められないんだけどね。有名な本だし、由紀ちゃんも読んだことが有るかしら?」
十和子先輩があたしに向けたその本は、確かに凄く有名な本だった。本なんて読まないあたしでも、その本のことは知ってるし、その作者がサン=テグジュペリである事も、知識としては知っている。何年前だっけ? とりあえずあたしがまだ小さかった頃だったかな? 日本での著作権保護期間が切れたとかで、新訳が沢山発売されてニュースになってたのをなんとなく覚えてる。でも、その本を読んだことは無かった。
「その本は知ってます。でも、読んだことは無いんです。十和子先輩がお勧めするなら、あたし、この本読んでみます」
あたしがそう言うと、十和子先輩は優しく微笑んで、あたしに本を手渡した。
「良かった。この本、古い本だから、沢山の人が訳をしているんだけどね、私はこの人の訳が一番好きなの」
あたしは当然誰が一番最初の訳だったとか、どの訳が人気だとか知らないんだけどさ、十和子先輩が一番好きな訳がこの人のものなら、あたしもこれが一番好き。
「実はね、この人の訳のものを置いて欲しかったから、コレ、私が推薦して入れてもらったの。私は自分で持っているんだけど、誰かに読んでもらうなら、是非この人の訳のものをと思っていたから……」
普段本を読まないあたしには、訳者による違いなんてそんなにあるものなのか、いまいちピンと来なかったんだけど、でも、十和子先輩がこの本に対して、何か思い入れを持っているってことだけは伝わってきた気がした。