アザミミチナミダミチ

木造平屋のアパートにて-16

「お金! 足りないよ!」

おばちゃんの怒鳴り声にさ、彼は情けない顔で頭をかきむしりながら言うのよ。

「えー。今手もちがねぇんだよー。のこりはツケといてー」

「ふっざけんじゃないよ! あんたいっつも手持ちが無いってさぁ! 今日という今日こそは今までの分もあわせて払ってもらわなきゃねぇ、こっちがこまんだよ!」

おばちゃんの剣幕は物凄くてさぁ、顔が真っ赤になってたわよ。きついアイシャドーで目の上は真っ青だったけどさぁ。

「だぁからさぁ、ないものはないんだってー。ホラ、見てよコレー」

彼はそう言って、ちょっと困ってはいたけどさぁ、あんまり悪気の無さそうな顔で財布を逆さにヒラヒラさせたのよ。それがまたおばちゃんの勘にさわったみたいでさぁ、おばちゃんったらさらに真っ赤な顔になってたわ。

「ちょっとあんた! そこのあんたよ!」

それはどうやら、あたしを指しているみたいなのよ。

「へ? あ、あたし?」

あたしが自分を指さしながら戸惑っていると、おばちゃんはこう言ったの。

「そ。あんたよあんた。あんたコイツのツレだろう? あんた払いなよ」

おばちゃんさぁ、とんでもないこと言う訳よ。別にツレでもなんでもないのにさぁ。

「へ? あの、ツレとかじゃないですから! 困ります!」

「コイツ迎えに来たんだからツレみたいなもんでしょ。うちだってねぇ、困りますじゃ困んのよ。うちあんま儲かってないしさぁ、もうすぐ今月の締めな訳よ」

呑んだのは絵描きの彼だし、締め日だとかさぁ、あたしには全く関係無いんだけどさぁ……。それからあーだこーだとひと悶着したんだけどさ、おばちゃんったら一向に引き下がりゃしないのよ。そんで根負けしてさぁ、結局、何故だかあたしが彼のツケを払った訳よ。今思い出してもあれは納得がいかないわね。あなたもそう思わない?

そう、それでね、店を出て、大股でさっさと歩いていく彼を小走りで追いかけてったわ。あの人、あたしの歩く速度なんて構いもしないんだからさぁ。細い道に、大きく隙間をあけて立った古ぼけた薄明かるい街灯。その中で、猫背の背中にあたしはついていったのよ。



たどり着いた場所は、あたしの住んでいたアパートよりは新しいけれど、きれいだとは言えない、灰色のブロックみたいなアパートの前だったわ。アトリエなんていう洒落たものじゃないことだけははっきりしていたわね。

彼の曲がった背中を追って、あたしもアパートへ入ったわ。外からの光なんてほとんど入らない階段に、申し訳程度の電灯が点っていて、コンクリートに反響してやたらに足音が大きく聞こえたものよ。二階の一室で彼は足を止めて、薄汚れたドアノブを捻ったわ。

「鍵、かけてないの?」

鍵も取り出さずにドアノブを捻ったのが気になって、あたしは彼にそうたずねたの。

「盗られるもんなんてねぇからなー」

間の抜けた声でそう返すと、彼は部屋へと入って行ったわ。だから、あたしも続いて部屋に入ったの。そして玄関へと足を踏み入れた瞬間、あたしは今頃になって後悔したのよ。だってそこはやっぱりアトリエなんて言えるような場所ではなくて、お金の無い若者が住んでいる感じの、普通のアパートの一室だったから。ほら、あたしは彼とどうこうなるつもりは無かったからさぁ。

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