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木造平屋のアパートにて-3

そういえば、彼と暮らし始めてちょっとした時だったか……彼が出かけてる時に、アパートの入口の所で、おじさんはいつもの締まりの無い助平顔じゃなくて、妙に真面目な顔であたしに話しかけてきたの。その真面目な顔がちょっと可笑しかったんだけど、あたしもどうにか真面目な表情を固めておじさんと目を合わせたわ。

「嬢ちゃん、あの浮浪者みたいな頭の坊主と一緒に暮らすのは嬢ちゃんの自由だけどな、絶対に……」

おじさんはそこまで言うと、一度呼吸を整えて、あたしの目をぐっと覗き込むから、あたしも自然に……今度は本当に真面目な顔でおじさんの目を見たわ。

「絶対にあの坊主に金を渡したりすんじゃねぇぞ」

じっとあたしの目を見つめて、おじさんはそう、言ったわ。おじさんのその目はあたしの事を、真剣に心配している目だった。あたしは少し黙り込んで、それから息を大きく吸い込んだ後、少し笑った顔で言ったの。

「はい。大丈夫です。それに、あたしはお金を渡せる程稼いでませんしね」

「そうかい。なら、良いけどな。嬢ちゃんは世間知らずそうだし、面倒見も良さそうだから、男が助けを求めてきたら、なんとか工面してやりたいと思いかねん。それで風俗で働き始めて……なんて事になりかねんからな」

おじさんはそこまで言った後、くたびれて色あせたズボンのポケットからショートホープを取り出して、つきの悪いライターを何度もカチカチいわせながら火を付けると、深く吸い込んで、そして大きく煙を吐き出したっけ。それから、くわえ煙草のままぼんやりと西日のさす空をながめながら、こう続けたわ。

「それに、男は甘やかすとすぐ駄目になる。金をやれば、二人の関係だって駄目になる。男が助けを求めてきた時は、金をやるんじゃなくて、ボインで包み込むもんだ」

彼はあたしにお金を無心するような人ではないけれど、よぉく覚えておこうって、その時のあたしは思ったもんよ。でもね、おじさんたら、今度はあたしの胸元をじいっと見て、「まぁ、嬢ちゃんの洗濯板じゃあ、包み込めねぇだろうけどな!」なんて笑いながら言うのよ。もう腹がたつったら。

でもね、おじさんはあたしを真剣に心配しているから、隣がこのおじさんで良かったなぁって、その時、思ったわ。



彼との生活が三年目を迎えたくらいだったかしら? とうとう、彼がレコード会社に所属することが決まったの。彼の才能が認められたんだって、あたしの目に狂いは無かったんだって、その時のあたしは彼のことを、そして彼を選んだあたし自身を、すごく、誇りに思ったわ。

もちろん、レコード会社に所属したからって、売れるとは限らないけど、その時は本当に二人して有頂天になったっけ。貧しかったけれど、ささやかなパーティーをして、彼の大きな一歩をお祝いしたわ。



「ギターを、置いて行こうと思うんだ」

二人で暮らすには狭すぎて、二人のものであふれている古いアパートの部屋で、芸能活動のために東京へ行くことになった彼は、部屋の中をひっかきまわすように荷造りをしながら、ふと、部屋の片隅に鎮座している、彼が音楽を奏でるときはいつだって必ず抱えているギターを見つめてぽつりと言ったの。

「このギター、大事なんでしょう?」

あたしも部屋の片隅に視線をやり、彼が見つめているのと同じ、そのギターを見つめながらそうたずねると、彼はしずかにこう言ったわ。

「あぁ、凄く大事なギターだ」

「じゃあなぜ、置いて行くなんて言うの?」

あたしは彼の方に視線を移して、ギターを見つめ続ける彼にたずねたわ。

「大事だからこそ、置いて行くんだ」

彼のこの答えでは、彼が大切なギターを置いていくといった理由がまだ分からなくて、あたしはさらにたずねたの。

「どういうこと?」

すると彼は、今度はあたしの方に顔を向け、あたしの目をしっかりと見つめながら、しずかにこう言ったわ。

「俺が歌手として成功して、お前を養えるようになったら、必ずお前を迎えに行く。だから、その証として、このギターを置いて行く」

彼の言葉を聞いて、あたしは目に涙を浮かべながら彼に抱きついたわ。彼もそんなあたしをしっかりと抱きしめてくれた。



東京へ向かう彼を駅で見送っている時も、あたしは涙を流してたいわ。でもそれは、少しの寂しさと、その何倍もの希望がつまった涙だったの。

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