アザミミチナミダミチ

木造平屋のアパートにて-4

それからしばらくしたある日、あたしが仕事から帰って来ると、隣のおじさんは今日もアパートの前で日向ぼっこをしながら煙草を吸っていて、陽気な顔であたしに話しかけてきたわ。

「おぅ嬢ちゃん、最近あの坊主見ねぇけど、とうとう捨てられっちまったか?」

捨てられた、なんて事を陽気に言わないでほしいし、それにあたしは彼に捨てられてなんかいないしね。だから慌てて否定したわ。

「違いますよぉ、彼、とうとう歌手デビューが決まったんです! だから彼、今は、東京にいるんです!」

「ほぉう、歌手デビューか。あの坊主、よくギター抱えちゃあいたが、まさかデビューするとはなぁ」

煙草の灰を落としながら関心するおじさんに、 「売れっ子になって、あたしを養えるようになったら、迎えに来てくれるって約束してくれたんです」なんてさ、その時のあたしは夢見るように言ったものよ。でもね、おじさんはあたしのその言葉を聞いたあと、あたしから一度視線を外して、吸っていた煙草を地面でギュッともみ消すと、またあたしの方へ視線を戻して、神妙な顔であたしを見つめながら、こう、言ったの。

「迎えに、なぁ……。嬢ちゃん、これは俺の勘だが、売れずに戻ってきたなら別だがな、売れっ子になっちまったら、あの坊主、迎えにはこねぇぞ」

その頃のあたしには、おじさんの言葉の意味がさっぱりわからなくってさ、ただ一言口から出てきたのは、「え?」っていう、たったそれだけ。だって、彼はあたしを迎えに来るって約束してくれたんだもの。

「悪い事は言わねぇ。あの坊主を待っているより、地元に帰って見合いでもした方がずっと良いと思うぞ。女の旬はみじけぇからな」

真剣な顔でおじさんはあたしにそう言ったわ。当時は今より見合い結婚が多くて、年頃になったらあちらこちらから見合いの話が来て、それで結婚するって言うのが当たり前だったの。女は二十五になったら行き遅れなんて言われていた時代だったしね。でも、あたしはおじさんの言葉を強く否定したもんよ。 「彼は絶対に売れっ子になって、そしてあたしを迎えに来るんです。絶対です」ってね。



デビューを果たした彼は、残念ながら、なかなか売れなかったわ。もちろん、あたし自身が彼の一番の大ファンだったし、レコードは必ず買って、まわりにも薦めたりしたんだけど、そういう小さな努力程度では、彼が売れるに至らなかったわ。しばらくの間売れない時代が続いたわね。時々届く彼の手紙には、自分の不甲斐なさを詫びた後、きっと次の曲で売れると、いつもそう書かれていたわ。

彼がデビューして数年、少し流行っているものも変わって、彼みたいな長髪にギターを抱えたミュージシャンはかなり減って、その代わりにテクノポップが流行ったり、ロックという音楽が注目され始めた時期でもあったわね。それから、そうね、舌ったらずな歌い方をする、似たような髪型のアイドルなんかも沢山現れたわ。それで、彼みたいなタイプは、ちょっと時代遅れと思われるようになってきたの。

そのせいかしらね。彼は今までとは路線の違う曲を発表したわ。今までの曲とは違う、流行りのロックとも違う、叙情的な曲だったわ。それが大ヒット! 沢山の歌番組に呼ばれるようになったわ。

もちろん、一曲売れたからって彼が迎えに来てくれる訳ではないわ。一発屋ではあたしを養えないからね。でもその心配は杞憂だった。次の曲も、その次の曲も順調に売れて、彼は音楽の世界で彼なりの地位を築いていったの。

その頃くらいからだったかしら? 彼からの電話や手紙が減ったのは。売れっ子になって忙しいからだと思っていたわ。そうだと信じていたわ。 でも、連絡がほぼ無くなった辺りで、週刊誌にアイドルとの熱愛が報じられたの。

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