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蝶になるということ、飛び立つということ-3

あたしは翌日会社に辞表を提出した。青虫が蝶になる為には、時間がいる。蝶になる為には、蛹の時間が必要だから。この不況で就職難の時代に職場も貯金も失ってしまうのは、ハッキリ言って、かなりリスキーだ。なのに、あたしの心は不思議と弾んでいた。



辞表を提出した日から数えて約二ヶ月。とうとうこの日がやって来た。辞めると言ってすぐに辞められる訳ではないし、仕事を辞めてからも、あたしの大事な顔を任せる為の、より良い美容外科を探して何軒もの病院に足を運んだから、手術までには二ヶ月という月日を要した。

――そして今日、あたしは蝶へと進化する。目頭切開法、目尻切開法、二重術切開法、鼻先修正、I字型プロテーゼ。これらによって、あたしは生まれ変わる。

ここの先生はあたしに言った。

「美容整形は魔法ではないから不可能も有ります。しかし、あなたは顔がとても小さいし、パーツの配置バランスが美しい。これはあなたの持って産まれた美点です。私はあなたのこの美点を最大限に引き出して見せます。あなたは絶対に綺麗になります」

この台詞こそがこの病院を選んだ決め手だった。美容整形はあくまでもあたし自身の美しさを引き出すきっかけに過ぎない。

あたしが綺麗になるのは医学のおかげではない。あたしに美の素質が備わっているからだ。 蛾の幼虫は決して蝶にはならない。そして、医学の力で目を二重にしたり鼻を高くしたりする事は出来るが、頭そのものの大きさや、パーツの配置バランスは変えられない。そして、美人としての最大の条件は、パーツの形云々よりも、その配置バランスに有る。と、あたしは思っている。



看護師に案内され、あたしは手術室へと向かう。手術室だといって連れて来られた部屋は、上に手術用の大きなライトがある以外はただの何の変哲も無い狭苦しい部屋でしかなかったので、あたしはほんの少し失望した。そして、あたしがこれから手術を受ける手術台と言うのが、どこの病院でもよく見かける茶色い合皮を張ったあの幅の狭い台であったことも、あたしを軽く失望させた。

看護師に促され、あたしは手術台へ乗り体制を整えると、看護師は手際よくあたしの髪を布で覆い隠し、あたしは瞳をそっと閉じた。視界は一瞬闇に包まれたものの、すぐに手術用のライトが点けられたせいか、まぶたを閉じたあたしの目は、闇ではなく、明るい朱色一色に染まった。

冷たい脱脂綿の感触、麻酔を刺す痛み、局所麻酔で行う手術だからこそあたしの意識は明瞭で、明るい朱色の視界の中に、看護師のものか、先生のものか、わかりはしないものの、時折ぼんやりとした黒い影が揺らめいて、あたしに小さな恐怖心を与えた。

電気メスが火花を散らす音が耳につき、ヒトの肉の焼ける、とても焦げ臭い独特の嫌な臭いが鼻につく。それは火葬場の臭いに似ていて、ほんの一瞬、亡くなった祖父を思い出したりもした。鼻のどこかが削られているのだろうか? ゴリゴリという大きな音。麻酔は効いていて痛みは無いものの、あたしの鼻に今プロテーゼが押しこまれているというのは否が応でも解った。時間が経つにつれ、狭く硬い台に横たわるあたしは徐々に背中や後頭部が痛みだす。とにかくすべてが不快で、早くここから開放して欲しいという、そういう思いでいっぱいだった。

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