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蝶になるということ、飛び立つということ-5

鏡の前で一喜一憂する日々を過ごしているうちに、とうとう抜糸の日を迎えた。この一週間、鏡を見て思い悩むあまり、時間は余っているにもかかわらず家事をする気になれず、フローリングにはうっすらと埃がかぶり、ずっと部屋を閉め切っていたせいもあって、なんとなく空気が濁っていた。

食事は買い置きのカップラーメンなんかを一日に一度か二度ただひたすら消費するのみ。いつもカップ麺の容器は必ず洗ってから捨てるのだけれど、どうにも洗う気になれず、かと言ってそのまま捨てる気にもなれず、台所の流しにはカップラーメンの空容器がいくつも積み重なって、そのせいでひどく不快な臭いを発し、そこには沢山の小蝿がたかっていた。

普段のあたしは決してそのようなタイプではなくって、そりゃあ、残業になってしまった日なんかはカップラーメンで済ませてしまうこともあるけれど、基本的に自炊をしているし、掃除だってしていて、棚の上にもフローリングにも埃なんてありはしない。食事をカップラーメンで済ませた日でも、空容器を洗ったあとに台所を拭いたりする程度には、台所だってきれいにしていた。

その時のあたしは本当に尋常ではなかったようで、抜糸までの一週間、鏡を見ることと、ネットで経過ブログを見ること以外には、本当に何もする気がおきなかったのがこの有様だ。でも、ひとつの山である抜糸を終えればそれも終わるだろう。

目の上の巨大な紫ナメクジは、手術の日の翌朝をピークに少しずつ小さくなってはいったものの、依然としてあたしの瞼に居座っている。ほとんどの経過ブログでは抜糸の後は一気に腫れが引くと書いてあるから、あたしはこの日を心待ちにしていた。

移動は自家用車だし、顔を隠し過ぎると怪しくなってしまうから、手術の帰りと同じように、サングラスはかけず、帽子を目深にかぶってマスクをつけて車に乗り込む。手術をした美容外科を目指し、あたしは車を発進させた。



抜糸はほんの一瞬だった。黒い糸が無くなったから、ほんの少しだけ見た目の不気味さが減ったけど、まだまだあたしの顔はグロテスクだ。先は長い。けれど、ひとつの山を越えた。糸が通っていた場所にぷつぷつ開いている小さな穴は、その勲章だと思おう。糸の穴は翌日には消えると言ってたけど、もし消えなかったらショックだけどね。

抜糸をしてから腫れはぐんぐん引いていった。予定していたダウンタイムが終わる頃には目頭の傷もある程度目立たなくなったし、鼻は惚れ惚れするくらい格好良くなった。

羽化の時が来たのだ。まだ完成ではないから素顔では外に出られないし、切った部分の皮膚が硬いから、瞬きの瞬間なんかは天然の二重と比べて多少の違和感が有る。しかし、切った部分が柔らかくなるまでを含めた意味での完成には、半年から一年かかるらしい。

さすがにそれまでずっと引きこもってはいられないし、今の状態でも、美容整形の知識の有る人間以外にはきっと解らないだろう。手術費用を払った残りの貯金も無職生活で尽きてきた。あたしはそろそろ働かなければならない。

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